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年齢を美しさに変える未来。「デザインの境界線」



はじめまして、JBIG(ジャパン・ビューティ・イノベーショングループ)の野田泰平です。

スキンケアメーカーである僕たちの会社が持つP.G.C.D.というブランドは、お客さまに直接商品を届けるEコマース(通信販売)に特化しています。会社名もブランド名も初めて名前を聞いたという方がほとんどだと思います。

今年は、僕が会社を立ち上げてから10周年という節目です。少しでも僕たちのことを知ってほしい。そんな思いから、noteを始めることにしました。

ちなみに、P.G.C.D.は、フランス語でペー・ジェー・セー・デーと読みます。「最大公約数」という意味があります。

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「人だけでなく環境、地球も美しくする」、「美しくなる習慣をつくる」、「究極のシンプル」これらが、僕たちのブランドの根底にあるテーマです。

商品として売っているモノとしては石鹸を中心とした製品だけれど、「ものをつくって販売する」以上のことを届けたいと考えています。

P.G.C.D.の製品のアイテム数は、ほかの化粧品メーカーさんと比べても極端に少ない。

その理由は、使う人にシンプルなケアを届けたい気持ちに加えて、「何のためにつくるのか?」、「それはほんとうに必要か?」という問いに応えられる商品を心がけているからです。

誤解を恐れずに言えば、「できるだけ、ものをつくらない方がいい」とすら、スキンケアメーカーの代表である僕自身は強く思っています。

ものをつくって世の中に出す以上、つくる側には大きな責任が伴います。

それをつくることで、どのように使われ、使った人の生活や意識はどう変わるのか。どのように棄てられて、どう環境に影響や変化を及ぼすのか。

こういったところまで考えるのは、僕の思考や根底に「デザイン」が大きく影響しているからだと思います。

今日は、このブログのタイトルでもあり、P.G.C.D.というブランドの中心にある言葉「デザインの境界線」がいかにして生まれたのか。その出会いを振り返ってみたいと思います。

なぜデザインは価値として認められないのか。建築デザイン業界のリアル

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僕は、小学生、中学生のころから、店舗デザインにかかわる仕事をしていた父に連れられて、国内外のあちこちに出かける機会に恵まれた。

分家のお墓があったことで年に3、4回は訪れていた京都では、寺院建築に興味を持ち、アメリカやヨーロッパでは教会建築に深く魅了された。

その後、進学先の大学で建築学を専攻したのは、僕にとってはとても自然なことだった。

学生だった当時、インターンとして、世界的に有名な建築家・伊東豊雄さんの事務所に通っていた。

そこで知ったのが、「日本の建築業界は、大手ゼネコン企業が統括するピラミッド構造である」ということ。

建築デザイン費は総工費の10パーセントと相場があるものの、建築デザインはピラミッドの底辺ととらえられ、真っ先に値切りの対象とされる傾向があった。

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建築デザイン業界で働く人は一般的に薄給で、日本のトップクラスの大学院を卒業後に海外で建築学を学ぶなど輝かしいキャリアを持つ人でさえも、実家からの仕送りで生計を立てていた。

当時、実積も知名度もナンバーワンだった事務所でさえ、経営難により解散に追い込まれる様を目の当たりにした。

なぜ日本では、デザインは価値として認められないのか……?

肩を落とすと同時に、デザインが正統な価値として認められるようなことがしたい――。ぼんやりと、でも強く僕は考えるようになった。

「デザインの境目を決めるのはキミ自身」。師匠の言葉で視野を広げる

ある日、伊東先生からこんなことを問いかけられた。

「キミは、どこまで考えてデザインをしている?」と。先生はこう続けた。

「『コップをデザインしてください』と言われたとする。その際に、コップのふちや底までしか描かない人はコップだけしかデザインができない。

でもそこでコップが置かれたテーブルまでイメージしてデザインができたら、キミはその食卓までデザインすることができる。

では、そのテーブルから脚を伝って床から壁まで考えてみよう。そうするとキミは、その空間までデザインすることができるよね。

さらにその空間から飛び出してみよう。目の前には道路があってその先に街がある。すると、その街全体をデザインすることになる。

『コップをデザインして』との依頼に対して、コップで終わらせるのか街まで考えたコップにするのか。両者はまったく違う。デザインの境目をつくるのは発注者じゃない。キミ自身だよ」

雷に打たれたようだった。

ここまで、とデザインの限界を決めるのは自分自身――。「デザインの境界線」という言葉が生まれたのはこのときだった。

デザインの本質は「見えないものを設計すること」

デザインの境界線は、一軒家を建築するときも重要な哲学だ。

たとえば、リビングルーム。

その家で暮らす家族全員がリビングを通らないと各部屋に行けない導線の交わる場所に配置するか、リビングを通らずとも、それぞれの部屋に行ける設計にするのか。

それによって、その家で交わされる会話が変わってくる。

あいさつや言葉かけはもちろん、「あれ、今日はあの子の表情がとてもいい。外で何か良いことがあったのかしら?」といった小さな気づきも、リビングの位置次第で生むことも、生まないことも実はできる。

その家で生まれた赤ちゃんが10歳になったとき、思春期や反抗期を迎えたとき、20歳になったとき、この家はどんな会話を生んでくれるのだろう――。

そこで暮らす人たちの表情や会話を想像しながら、デザインするというわけだ。僕は、デザインの本質とは、見えないものを設計することだと思っている。

時間を重ねたからこそ、生み出せる美しさがある

伊藤先生の言葉をきっかけに視界がクリアになり、「自分がデザインしたものを通して、人の人生や未来をデザインしたい」と広く目を向けるようになった。

「デザインの境界線」という概念に、「時間軸」を加えて考えるようにもなった。

1日は朝昼夜があり、1年は春夏秋冬がある。

その1年後、2年後、10年後――。自分がつくったなにかがが使われることによって、使う人や使う人の人生、社会、環境はどうなっていてほしいのか、と。

「年齢を美しさに変える未来」。これは、僕たちのブランドで使っているコピーであり、日本の木造建築の考え方と同じだ。

木材は、気温が上がる春になると膨らみ、気温が下がる冬になると縮む。その膨張を考えながら日本家屋は設計されている。

コンクリート建築は10年で修繕や建て替えが必要になる一方で、木造は50年、100年、1000年と続くことができるのは、樹の特徴を生かしているからだ。

寺院建築がそうであるように、100年経っているからこその歴史やぬくもりがある。時間をかけたからこそ、つくれる、生み出せる美しさがあるとも信じている。

「デザインの境界線」と「時間軸」。そこを出発点に、僕が行き着いたのが、いまの事業や社会への貢献のかたちなのだ。

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(次回につづく)

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野田泰平(のだ・たいへい)

株式会社ジェイ・ビー・アイ グループ代表取締役CEO、株式会社ペー・ジェー・セー・デー・ジャパン代表取締役CEO。デザインアントレプレナー。

1979年福岡県生まれ。建築学を通して人の未来をデザインすることに使命を感じる。1999年20歳の誕生日に法人登記だけをした「何もない会社」を父からプレゼントされる。そのプレゼントが人生を変え、現在の会社の前身となる。10年後の2010年、東京・南青山のビルの一室でペー・ジェー・セー・デー・ジャパン設立。「世界一の石鹸づくり」を志し、桑沢デザイン研究所(2011年卒)、グロービス経営大学院(2013年卒)でも学ぶ。2013年、主力商品であるスキンケアソープ「サボン クレール」「サボン フォンセ」がフランス化粧品業界の最高賞「ヴィクトワール ドゥ ラ ボーテ賞」受賞(4年連続5冠)。同年には化粧品業界として2社しか受賞した事のないグッドデザイン賞金賞を受賞。更に2019年にもグッドデザイン賞受賞。桑沢デザイン研究所ではSTRAMD賞、グロービス経営大学院ではアルムナイアワードを受賞。「日々の習慣をデザインして、美しくなる生活に貢献する」ことを事業を通して実現している。40代からアメリカでのビジネスに挑戦中。P.G.C.D.USの開業をシアトルで準備している。
好きなことは、剣道とスキーとダイビング。時々茶道、香道も。映画は年間80本以上見る。
動物占い:ペガサス
ポケモン自己診断:ピカチュー
FFS:凝縮性
ストレングスファインダー:戦略性、未来志向、最上志向、着想、個別化

聞き手・構成協力:平山ゆりの

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